車屋の歴史

豊かな精神性と雰囲気が脈々と受け継がれた場所

車屋の歴史は、先代伊藤鐘治郎(一九八九年六月没)が、昭和五年新宿に『ウォーグ』『ミロ』そして、紀伊国屋書店の中に、武蔵野茶廊という喫茶店を開いたことから始まります。 当時、武蔵野茶廊は文明開化の微勲を持っており、そこに出入りする事は、あたかも西洋文化の匂いにふれた様な思いを持つ事が出来たものと思われます。 中でも富田常雄、田村泰次郎が、武蔵野茶廊を書斎がわりとして利用し構想を練り、姿三四郎、肉体の門の一部を執筆した事が特筆されます。 その後、酒場『キュピドン』『どれすでん』と、まるで欧州のカフェを思わせる様なユニークな店舗を新宿に開店していきました。 これらの店では、日本の文化芸術界を代表する様な人達(下記参照)が、活発な芸術論や人生論を戦わせる場で、その豊かな精神性と雰囲気が脈々と受け継がれ、今日の車屋となっています。若き日の芸術家や文化人が、口角泡を飛ばして夢や、恋や、芸術や、人生を語った事が、ほうふつされます。 その間、戦争にあったり、幾多の遍歴を経て、昭和三八年新宿コマ劇場の横に現在の車屋本店を出店し、連日行列が出来る様な喝采を受け、現在九店舗の店を持つに至っております。 そう云う意味では、私共車屋は創業時の和洋混在の時代から今日の厚底茶髪迄、新宿の移り変わりを、九十年に渡って静かに見守って来た店と云えるのではないでしょうか。


昭和6年創業の「武蔵野茶廊」

多くの芸術化や文人が訪れ、ここから多くの文学作品が世に送り出されていきました。
新宿駅周辺で最も歴史のある喫茶店として、多くの方々に愛されておりました。

昭和15年当時の「武蔵野茶廊」店内 この店内で作家・富田常雄が「姿三四郎」の原稿を書き、田村泰次郎は「肉体の門」を執筆するなど、作家達の書斎がわりに利用されていました。所蔵:国立国会図書館

閉店前の「武蔵野茶廊」店内 昭和6年(1931)二幸裏の新宿喫茶街に開店、落ち着いた雰囲気の店で、若手の芸術化や文化人が数多く訪れました。 戦災で建物は替わりながらも、営業を続けておりました。

武蔵野茶廊跡地の御案内 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-21-2
<アクセス>
絵 : 堀 潔

旬の食材

松茸 (まつたけ)

秋にしか味わえない食材「松茸」 平安時代の貴族や歌人が松茸狩りを季節行事にしていたともいわれ独特の芳香は万葉集にも詠まれています。柄が太く、指で押して弾力があり、ひだが白く湿り気を帯びている物が良いとされますが、かさの開き具合は関東、関西で好みが別れます。
    英名 : Matsutake mushroo

秋刀魚(さんま)

今では秋の魚の代表として名高い秋刀魚ですが、1700年代に入っても「下賎な魚」とされ、後半になり庶民がやっと食べる様になった様です。・・・落語「目黒のさんま」が最初に演題とされたのが1798年。鱧と同じく胃が無く腸も極端に短いため、絶えず何かを食べていなくてはならない大食漢。産卵は未だに謎で、寿命も1991年に大部分のさんまは1年しかない事が明らかにされたぐらい。養殖はむろん飼育に成功した水族館も無い。・・・落語「目黒のさんま」が最初に演題とされたのが1798年。鱧と同じく胃が無く腸も極端に短いため、絶えず何かを食べていなくてはならない大食漢。産卵は未だに謎で、寿命も1991年に大部分のさんまは1年しかない事が明らかにされたぐらい。養殖はむろん飼育に成功した水族館も無い。新鮮なさんまの内臓は、豚や鳥のレバーの様にトロッとした甘味に似た味がしますが、鮮度が落ちてくるとアミンが生成され苦味が出る。
    英名 : Pacific saur

銀杏(ぎんなん)

炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラルなど非常に多くの栄養素が含まれ、古くから漢方薬として利用されていました。コレステロールを減らし、せきを鎮め、夜尿症・滋養強壮にも効果があり、生ですり潰し塗れば皮膚病も治ると言われています。近年では欧州でも注目を集め、研究は日本よりも進んでいます。
    英名 : Black rockfish / Dark banded rockfish (暗い縞のあるカサゴ)

無花果(いちじく)

「無花果」と表記されますが、花が無い訳ではなく実の中の赤いつぶつぶが花であり、この花の部分が独特の味を出しているのです。2006年あの「サイエンス」に1万年年以上前から栽培されていたと発表されましたが、旧約聖書にも数多く登場しています。高血圧、動脈硬化の予防、便秘改善、消化促進などの効果がありますが、未熟なものは胃を痛めることがあるので注意が必要です。
    英名 : Fig / Fig tree(いちじくの木)